いつの時代も、”うちの子”は一番かわいいものです。

日本の第59代天皇、平安時代の宇多天皇(うだてんのう)も”うちの子”を溺愛する愛猫家の一人です。

宇多天皇は、のちに「寛平の治」と呼ばれる理想的な時代を築きました。当時権勢を誇った藤原北家の人物だけでなく、学者の家出身の菅原道真も積極的に重用し、地方の国司との結びつきを強めて律令制への回帰を強く志向する、遣唐使を廃止する等の改革を行いました。

改革の一方で、和歌にも優れた宇多天皇は歌合をしばしば主催するなど、文化の興隆にも大きく貢献しています。

宇多天皇像
出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E5%A4%A9%E7%9A%87

そんな賢明な宇多天皇が在位期間中に書いた、日本最古のツンデレ猫日記として知られる「宇多天皇御記(ぎょき)(寛平御記)」の内容をご紹介します。

「宇多天皇御記(ぎょき)(寛平御記)」は現存する天皇の日記としては最古のものですが、書かれた全てが伝わっているわけではなく、断片的にいくつかの日記が残っているだけです。

『寛平元年二月六日。朕閑時述猫消息曰。驪猫一隻。大宰少貳源精秩満来朝所献於先帝。』
寛平元年旧暦2月6日(現在の暦に直すと889年3月11日)。暇に任せて、私の猫について述べてみよう。この1匹の黒猫は、大宰府次官であった嵯峨天皇(第52代天皇)が任期を終えて都に戻り、光孝天皇(第58代天皇・宇多天皇の父)に献上したものである。

『愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。爲其形容惡似韓盧。』
その毛色は類い希で、他の猫がみなどこかぼやけた灰黒色なのに比べ、この猫だけは墨のように真っ黒で、まことに愛おしい。まるで韓廬のようである。(韓廬とは、戦国時代に韓の国で産出した黒い猟犬)

『長尺有五寸高六寸許。其屈也。小如秬粒。其伸也。長如張弓。』
背の高さは6寸(18cm)ほど、体の長さは1尺5寸(45cm)ほどである。小さくかがむとまるで小さな黒黍の粒のようだし、大きく伸びるとまるで弓を張ったように長い。

『眼精晶熒如針芒之亂眩。耳鋒直竪如匙上之不搖。』
瞳はきらきらとして針のように光り、耳はスプーンのようにまっすぐに立って揺るぎもしない。

『其伏臥時。團圓不見足尾。宛如堀中之玄璧。其行歩時。寂寞不聞音聲。恰如雲上黑龍。』
ちんまりと猫座りをしている時は、丸まって足もしっぽも見えず、まるで岩屋の中に鎮座する黒い宝玉だ。歩くときはひっそりと音も立てず、まるで雲の上をゆく黒龍だ。

『性好道引暗合五禽。常低頭尾著地。而曲聳背脊高二尺許。毛色悅澤盖由是乎。亦能捕夜鼠捷於他猫。』
導引術の気法を好むようで、その動きはちょうど五禽戯(=虎、鹿、熊、猿、鳥の動きを真似する運動法)と同じである。いつも頭を低くしてしっぽを地面に着ける姿勢をしているが、立ち上がってびよーんと背中を伸ばすと2尺(60cm)ほどの高さになる。このような気法を身につけているから毛色が美しいのであろうか。さらに、夜ネズミを捕えるすばしっこさは他の猫以上である。

『先帝愛翫數日之後賜之于朕。朕撫養五年于今。毎旦給之以乳粥。』
先帝(父である光孝天皇)は、この黒猫を数日かわいがったのち、私に下さった。私がこの猫を飼い始めて5年になるが、毎朝乳粥を与えてかわいがっている。

『豈啻取材能翹捷。誠因先帝所賜。雖微物殊有情於懐育耳。』
それはただこの猫が何か優れているからそうするのではなく、先帝が下さったものであるから、どんな小さなものでも大事にしているのである。

『仍曰。汝含陰陽之氣備支竅之形。心有必寧知我乎。猫乃歎息舉首仰睨吾顔。似咽心盈臆口不能言。』
猫に向かってこう言ってみた。「おまえは、心も体もきちんと備わっている。心があれば、きっとわたしのことがわかっているね」と。しかし猫は、ためいきをつき、わたしの顔をじっと見上げ、なんだか胸がいっぱいの様子だったけれども、ものを話すことはできなかったのだ。

日記にある乳粥とは、私たちがイメージするようなミルク粥ではなく、「にゅうの粥(迩宇能可遊)」つまり牛乳を煮て固めた酪(らく)のことのようです。この時代、牛乳は貴重なものです。それを毎朝与えていたなんて、よっぽど溺愛していたようです。
黒猫の容姿や運動能力を褒め倒し、うっとりした挙げ句『先帝より賜ったから大切にしているんだ。』なんて、もはや照れ隠しの言い訳にしか聞こえません。
また、猫に愛おしそうに話しかけて、私達は相思相愛だと言わんばかりの内容には、身に覚えがある方も多いのではないでしょうか?筆者には身に覚えしかございません。

天皇が書かれた日記ですが、読むとほっこりして、なんだか嬉しく感じる可愛い愛猫日記ですね。

うちの黒猫最高!平安時代の溺愛猫日記