世界には、昔から船乗りと共に航海をする猫がいますが、トリム(Trim)は、1803年にオーストラリアの海岸線を一周し海図を作成するため、マシュー・フリンダース(イギリスの航海者、海図作成者)の指揮で航海を行った船団の、オスの船乗り猫ちゃんです。
トリムは、オーストラリアを3回周回するだけでなく、世界中を航海したことで有名です。

マシュー・フリンダースは、史上最も優れた航海者の一人で、最も優れた測量官であり、また海洋の研究者でもありました。彼は潮の動きや、気圧計と風の向きの関係、船内の鉄がコンパスに及ぼす影響の研究などを行い、その修正に貢献しています。
1790年に1度、南太平洋を航海し、そこで大きな島を発見しました。しかし、そこは島ではなく、大陸であったことを証明したいと考えていました。その後、ニューホランドとニューサウスウェールズが1つの大陸の一部であることを証明し、彼の著作は大陸の名称としてオーストラリアという名称が一般化するのに貢献しました。

1797年、マシューが船長を務める「リライアンス号」は、南アフリカの喜望峰から家畜を運ぶ為に、オーストラリアのボタニー湾を目指していました。
この時、ロンドンから連れてきていた、妊娠中のメス猫が航海中に出産をしました。その中の1匹に、胸に白い「星」、白い下唇、そして「雪に浸ったように見える」足を持つ、黒毛のオス猫がいました。
この子猫は、他の子猫よりもエネルギッシュで、敏捷、大胆さがあり兄弟猫の中でも目立っていました。また、非常に頭が良く芸も覚え、その中の一つに甲板の上に仰向けになり、両手足を開いたまま合図があるまでじっとしているという、まるで犬のような芸もできたといいます。
また、船員の食事の時間になると、船員一人一人から一口ずつのご飯をおねだりしに回ったそうです。

マシューの生誕地イギリスリンカンシャー州にあるトリムの像
出典https://en.wikipedia.org/wiki/Trim_(cat)

マシューは、この子猫を忠実で愛情深い友人であると考え、イギリスの小説家、ローレンス・スターンが書いた未完の小説『トリストラム・シャンディ』に登場する執事の名から、『トリム』と名づけました。

海の上で生まれたトリムは、他の猫と違って水に濡れることを嫌がりませんでした。船が港にいる間、トリムのエネルギッシュな活動が時々船外に落ちる原因となりました。しかし、彼はパニックにならず、自然に泳いでいるようでした。トリムにロープが投げ込まれられた時、「彼は人間のようにロープを掴んで、猫のようにそれを駆け上がりました」とマシューは手記に記ています。こういった逞しさや知性も、マシューを虜にしたのかもしれませんね。

オーストラリアのシドニーにあるマシューフリンダースが所有するジョンコーンウェルのトリムの像
出典https://en.wikipedia.org/wiki/Trim_(cat)

1800年、リライアンス号は南アフリカのホーン岬とセントヘレナを経由してイギリスに戻り、トリムは周航を終えました。

1801年〜1802年、トリムはマシューに連れられて、海軍の命令によってオーストラリア南岸の探検に出発しました。彼らは、同年12月6日ルーイン岬を確認し、さらに、1802年1月28日にファウラー岬に到着、海岸線の測量を行いながら東進しました。3月22日にはカンガルー島を発見します。
同時期、フランスの航海者、ニコラ・ボーダンもフランス政府の命を受け、オーストラリア沿岸の海図を作成するための航海中で、1802年4月、偶然マシュー・フリンダースに出会います。その当時のイギリスとフランスは交戦状態でした。しかし、最果ての海で出会った航海者で学者同士、双方に戦う気はなく、二人は陸にあがり歓談し、その湾をエンカウンター湾(偶然の出会いの湾)と命名しました。
そして、5月9日ポートジャクソンに着きました。7月22日現在のクィーンズランド海岸線の測量を続けながら、カーペンタリア湾に至るのですが、インヴェスティゲーター号が長期の航海には不適であることが明らかになり、その後の測量は断念し、オーストラリアの周航だけに目的を絞ることにしました。
その後、1802年〜1803年にかけてオーストラリア大陸を周回し精密な海図を作ります。

マシューの忠実な船乗り猫トリム
南オーストラリアのポートリンカーンにあるトリム像
出典https://en.wikipedia.org/wiki/Trim_(cat)

周回の旅を終え帰国途中だった1803年の8月17日、不運にもインド洋にある珊瑚礁に衝突し、船は座礁してしまいます。船長と乗組員、そして猫のトリムは、イギリスから救助に来た縦帆式帆船に乗り込みますが、この船もまたボロボロだったため、フランス領モーリシャス諸島に立ち寄って船の修繕を余儀なくされました。ところが、当時のイギリスとフランスは交戦状態だったため、船員たちはスパイ容疑を掛けられ監獄に入れられてしまいます。このときトリムも一緒でしたが、隙間から這い出ては夜な夜な冒険をしていたようです。
そんなある日、フランスの夫人から「娘のペットにとトリムを引き取りたい」との申し出があったため、マシューは同意します。しかし2週間もたたないうちにトリムは迷子になり、懸賞金が掛けられるという騒ぎになります。その後、必死の捜索活動が続けられましたが、結局トリムは見つかりませんでした。「おなかを空かせた奴隷たちに食べられてしまったのだろう」というのが大方の見解です。
トリム失踪事件の後、マシューは7年間も収監され、イギリスに帰国できたのは1810年、彼が36歳のときでした。それからわずか4年後の1814年、40歳と言う若さで他界しています

南オーストラリアのポートリンカーンにある像
出典https://en.wikipedia.org/wiki/Trim_(cat)

オーストラリア大陸の精密な海図作成の裏側には、船長及び船員に癒やしを与えていた猫ちゃんがいたのですね。
トリムの像は今もイギリスやオーストラリアで見ることができますよ。

船乗り猫のトリム